Benaki Museum - Pireos Street Annexe、複数の作品(1) | documenta 14 Athens

5年に1度の国際芸術祭ドクメンタのアテネ会場を見てきました。バス停「ΠΕΤΡΟΥ ΡΑΛΛΗ/PETROU RALLY」を降りてすぐの場所にあるBenaki Museumも「メイン会場」の一つ。タイの作家さんや、寝言の映像の作品など、こちらも見ごたえのある場所です。

名前にあるBenakiはアレクサンドリアに入植したBenaki家のこと。繊維業で成功し、1914年にアテネ市長に選出され、難民定住に取り組まれたお父様を持つAntonis Benakisのコレクションによる美術館です。

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documenta 14
Athens

Venue Number [3]
Benaki Museum—Pireos Street Annexe
http://www.documenta14.de/en/venues/15228/benaki-museum-pireos-street-annexe
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Hiwa K
One Room Apartment (2017)



美術館の中庭あたりにポツンと設置されている作品。前回のヴェネツィアビエンナーレ(Okwui Enwezorキュレーション)に参加していた作家です。その時はイランイラク戦争などで使われた重火器を鐘に再鋳造したものでした。

ベッド一つが中空に置かれた部屋(といっていいのか)はまるで難民かもしくは何か隔離されるべき存在が押しやられる空間に見えます。見世物のようなワンルームアパートメントを用意することが包摂になるのか、と考えさせられます。



Roee Rosen
Live and Die as Eva Braun (1995–97)


イスラエルの小説家でもあり映像作家でもありペインター。マルキドサドやバタイユのような背徳的なモチーフを使うだけではなく、広告的なわかりやすいモチーフや伝統的な子どもの絵本の体裁を取りながら、規範的な価値観をひそかに(どちらかというと不誠実なやり方で)傷をつけていく作品を発表している作家だとか。

展示では会場を広く使い、モノクロの絵本を用いた物語インスタレーションを展開しています。ヒトラーの愛人となって戦争最後の日に、彼と愛をつむぎ、自殺し、地獄への短い旅を経験するというもの。イスラエルにおけるホロコーストをイメージさせようともしているようです。(この作品はイスラエルで展示した際に保守派からかなりの反発にあったそうです。)


Nilima Sheikh



Arin Rungjang
And then there were none (Tomorrow we will become Thailand.) (2016)


1973年にタイで発生した軍事政権に対する革命と、その後の不安定な状況から1976年に発生したタマサート大学での学生たちに対する暴力…虐殺。偶然にも同じ1973年にギリシャで発生したアテネ大学の学生蜂起。それらをつなぐようなテキストや写真やドローイング、そして映像による展示です。

タイは現在事実上の軍事政権状態ですが、タイの国民は王に対して絶大な信頼を置いているために王直下の軍が統制している現状を好ましいと思っている、という話を聞いたことがあります。(とはいっても、信頼されていた/愛されていた国王がなくなられてしまった現在、どうなるか注視すべきところですが。)



1973年から1976年にかけて残酷な事件があったとは知りませんでした。映像では学生たちが暴力によって傷つけられているシーンが生々しく残っています。そして映像の最後には、妙齢の女性(プロの歌手)が歌います。彼女が口にする共産主義者たちという言葉。少しあきれたように、でもどことなく哀愁や懐かしさをもって口にする様子がとても気になる作品でした。


Constantinos Hadzinikolaou
Anestis (2017)



アテネ出身の作家。映像と写真とテキストで、実際にあった事件の記録と想像上の物語を混合させています。私は鑑賞当時は1つの物語/出来事を1人称と3人称で描いているのだと思い込んでいました。しかしそこには2つの作品が共存していました。1つは1879年の小説。未完のまま終わった作品です。もう1つは1987年に発表された作品で1980年に実際に起こった事件を元にしているテキストです。

とても薄いトレーシングペーパーに必要最低限のテキストが綴られている赤い本を読みながら鑑賞していく作品。登場人物であろう男の追い詰められていく精神描写はまったく共感できませんでした。


(2)に続きます。