「清川あさみ/美女採集」を見てきました。


女装の私が、水戸芸術館で開催されていた「清川あさみ/美女採集」を見てきました。最終日でしたから、さぞ人が多くなるだろうと思い始発高速バスで水戸へ。9時半の開館時間には既に美術館内にいて、クロークに荷物を預けるという本気っぷりです。それくらい楽しみにしていました。

美女採集より『黒木メイサ×馬』2009年

縦に長い水戸芸術館のスペースをフルに使った展示は第1室から第8室まであります。最初は「美女採集」と題された女優やモデルの写真に刺繍を施した作品です。「インコ」や「カピパラ」など動物をイメージした作品は60点弱ありました。金や銀や赤や青の綺麗な刺繍糸が、波紋や唐草や光線といった模様を描き「美女採集」を創り上げます。ビーズや刺繍はそれ自体が美しく、また美しいモデルを使った写真に新しいレイヤーを重ねるかの様に見えますが、実は針をさしている、縫い付けている。拘束や固定といったイメージなのかもしれませんが、私は被写体そのものの美しさが少しずつ失われていくイメージを感じました。つまり「美女」という語感が勝手に持つ輪郭の無いイメージを、縫いつけなぞり境界を明確にして留めている。こぼれる「美女」のイメージを必死にすくい上げているような、そんな印象です。その必死さ(勝手に感じているだけかもしれませんが)にとても共感しました。

Complexシリーズ『greed』2009年

「美女」が勝手に持つイメージを刺繍を通じてすくい上げている、と書きました。清川あさみさんの刺繍作品は、留めようとするけれどこぼれてしまう被写体の持つイメージをすくう「ネット/網」を思い起こさせます。「Complex」シリーズもまさに、こぼれ落ちる「コンプレックス」が写真に施された刺繍から垣間見えます。写真そのものは全く同じ物を使いながら、刺繍によってイメージが全く異なって見える「Complex」シリーズ。例えば「greed」では金の糸と銀の糸の刺繍で豪華なドレスを形作ります。強欲さがにじみ出る。「fat」では被写体の周囲に脂肪を模した美しい刺繍。腰回りの浮き輪が再現されていました。「aging」では肌に刻まれる皺を、「hairy」では体毛を、それぞれキラキラひかる糸を使った刺繍で形作ります。刺繍で装飾をしなければ身体に閉じ込められ蝕むコンプレックスを、綺麗な形を縫いつけることでこぼしていく。「コンプレックスは本当は美しい、大切なものなんだ」という月並みな言葉ではなく、もっとシンプルに、「作業(刺繍)」で解消していると言っているのかもしれません。

『もうひとつの場所』より 『エンペラータマリンの箱』2011年

絶滅危惧種、絶滅種をモチーフにした第5室。このような作品に出会わなければ絶滅種や絶滅危惧種について考えることはありません。生きている姿を想像することなんてありません。「オオアリクイは絶滅危惧種なんだ」「ドードー鳥は絶滅しちゃった…」と思っていても、数日経ってしまえば忘れてしまうでしょう。残るのはキラキラとした刺繍の網のイメージだけ。どれだけ縫いつけても境界をなぞっても、どうしても固定できない留めておけない、すくい上げてもこぼれてしまう「絶滅」したという事実。願わくば、キラキラと光るビーズや糸の輝きが「絶滅」に抗う生命のあがきたらんことを…。なんてね。

同じ部屋に展示されていたのは、4人の美女を絶滅危惧種に見立てた新作「4つの場所」。作品は刺繍が施された縦に長い写真でした。距離を置くと全容が掴めます。せっかくだからと近寄って見ると見上げなければなりません。ところが見上げるとせっかくの美女は見えず、刺繍部分しか見えなくなりました。写真に照明が当たり紙にプリントされた内容が何一つ確認できなくなったのです。その個人にとって「美女」の持つイメージは絶滅危惧と言えます。刺繍を通じてそのイメージを留めようとする必死さそのものが美しかった。

『4つの場所-01』 Model:真木よう子

清川あさみさんが刺繍をほどこしている姿を想像すると、固定や拘束よりも足掻きに似た「必死さ」を感じます。ただ、第6室にあった都市に吹く風や気の流れを刺繍で風景写真に縫いつける作品群からは、それは感じられませんでした。ただただその刺繍が美しかった。歪んだ都市は、その場所が持つ有機的な流れによって再構築される。もちろん、縫いつけるその姿からは必死さがにじみ出るでしょう。ただそれ以上に、人ではなく都市に向いた姿勢はまっすぐで迷いがなかった。人ではなく動物でもなく都市が被写体になっているという違いが、つまり被写体と清川あさみさんとの距離がそうさせるのかもしれません。

『HAZY DREAM』2009年

グラフィックワークとしての清川あさみさんの作品は、写真と写真に縫いつけられた刺繍とそれを撮影した作品という二重三重の構造を持っていました。秋元康氏が作品集に寄せた「美しさを留めるための刺繍」や「美しさを被写体に縛り付ける美の調教師」というイメージは、わからないでもありません。ところが水戸芸術館での展示は写真と写真に縫いつけられた刺繍が作品です。距離がひと単位近いだけで、大きく印象が変わります。もうひと単位、清川あさみさんに近づいてみたいなあ。多分そうさせてはくれないだろうし、重ねられた構造はたぶん複雑で何百年も解かれない数式。作家個人の世界が強烈に感じられる展示でした。


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水戸芸術館 HP
■清川あさみさん

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