Tokyo Art Research Lab 「世界の現場から Talk & Cast Vol.4 栗山斉」に行ってきました。

女装の私が、3331ArtsChiyodaで開催されたTokyo Art Research Lab 「世界の現場から Talk & Cast栗山斉さんの話を聞いてきました。モデレーターは墨東まち見世2011で(広報で関わっています)、お世話になっている東京アートポイント計画の橋本誠さんです。当日は、栗山さんが参加された国際交流事業「Drifting Images」関連で、Creative  Hub131の加藤恵美子さんが特別ゲストとして登壇されました。同イベントでは、作品の画像をプロジェクターで見せながら、その制作過程における地域との関わり方についてトークが展開されました。
※トークイベントは19時から開催されていました。私は仕事の関係で19時半からの参加となりましたので、全内容はポッドキャスト配信を待とうと思います。

※当レビューは、トークイベントの内容よりも栗山さんの作品とそのコンセプトに重きを置いて書かせていただきます。



作家は作品を通じてコンセプトを伝えます。栗山さんの作品を見る上でキーになるコンセプトは「0=1」。「無」と「存在」が同等であることを実証する作品を作り続けています。




色鮮やかな写真が栗山さんの作品です。花の写真ではありません。ヒューズが焼けきれる瞬間の光を印画紙にとどめた作品です。焼けきれる瞬間、ヒューズは光を生成し死に絶えます。並べると花の様な痕跡は生と死が同等です。

電流を流してスパークさせる方法で瞬間を定着させる作品は、BODAとの交流事業(韓国の学生を対象にワークショップ)でも実施されました。この時媒介として使用されたのは「シャープペンシルの芯」。芯は炭素で構成されており、電球のフィラメントと同等です。高い電圧をかける事でスパークさせた写真は、モノクロながら美しく力強い生と死の瞬間を定着させていました。日本より電圧の高い韓国では、シャープペンシルの芯は「スパーク」ではなく「爆発」になってしまったとか。実際の制作の現場では、地域が違う事による細かい困難を乗り越える事も、重要な体験なのでしょう。今回はBODAの工房にあった変圧器を活用し、難を乗り越えたとか。

さて次の写真。


広い部屋。重々しい三脚に取り付けられたレーザーポインタが壁に赤い点を照射します。三脚には赤道儀が取り付けられており、地球の自転や公転の移動に合わせて赤い点がかすかに動きます。赤道儀は天体写真用の機材です。天体を長時間露光で撮影すると線になります。これは星が自転し公転しているから。この動きを無効化し、星の光を「・」で撮影するために赤道儀は使用されます。この作品のタイトルは「Geostationary Point」。「Geostationary」を辞書で調べると「【形】《地球から見て衛星が》静止した、不動の」とあります。かすかに動く赤い点の先には不動の星が瞬きます。赤い点が動くこの空間では、不動と動が、静と動が同等です。


赤道儀を使った写真作品です。天体写真ではありません。これは、地球上の、静止しているはずの都市の光です。赤道儀にカメラを取り付け、長時間露光で、地球の自転と公転で動く都市を撮影しています。ここでも、静と動が同等です。別府のシリーズと、韓国・ソウルのシリーズがあります。同じ地球上で撮影されたからでしょう。見た目には違いの無い作品です。しかし、定着された静と動は全く別の表情を、見る人によって、与えるかもしれません。


ムラーノ島の廃工場(ガラス工場)に展示されているのが次の写真です。これは蛍光灯を用いています。蛍光灯の内部は真空状態です。空気の無い、死の空間では光が生まれています。下に見えるのは割れた蛍光灯です。真空の蛍光灯が割れる、真空が真空でなくなる事を表現します。宇宙は真空から生まれました。真空が真空でなくなる瞬間にビッグバン(宇宙誕生)のイメージを重ねた作品には、(私個人は、ですが)母性を感じます。展示に関わられた方のご意向により、作品は現在も展示されています。ヴェネツィアに行く機会があれば、ぜひ観賞したい作品です。ちなみに、同作品はヴェネツィアビエンナーレの関連企画として展示されました。もしかするとご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんね。

その他の作品は栗山さんのサイトでご確認いただけます。サイトでは2012年の夏ごろ、名古屋で開催される作品もご覧いただける、かも。たぶん、あの写真はソレのはず。


「0=1」は小学校で勉強した算数では成立しない数式です。1は0ではなく、また、0は1ではありません。しかし0と1を、無と有/相反する2つの要素でありmeceであるという前提に立った上でその完全な全体集合を表現するとどうでしょう。その全体集合を見ると、0と1は同じ全体集合の要素となり「0=1」が成り立ちます。あくまで解釈の話です。この場合、数式は考える材料です。

私は、男性性と女性性を、その境目を内包します。ヨネザワエリカとして、栗山さんの作品と対峙し、その時に感じる事をぜひレビューしたいと強く感じました。ヴェネツィア行きたい!

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※画像は以下のサイトから転載いたしました。