市川孝典「FLOWER」展@NADiff Galleryを見てきました。



女装の私がNADiff Gallery(恵比寿NADiff a/p/a/r/t地下)で開催されていた市川孝典 個展「FLOWERS」に行ってきました。








気の狂った紳士のような風貌の市川氏ご本人から丁寧に、絵についてのお話しを聞くことができました。彼の絵は線香で描かれます。一枚の絵を描くために、60種類以上3000~4000本の線香に火が灯されます。和紙に線香をあてて焦がします。線香によって焦がされた和紙の黒、焼け落ちた穴、線香が触れずに綺麗なまま残っている白。「蝶々」や「花」や「何気ない風景」を描くのは、そうした単純な作業の痕跡です。








市川氏は記憶を「無くす」事に強烈な恐れを感じます。記憶の種類は関係ないといいます。種類に必然性はありません。ただ「無くす」事を恐れて、記憶を、「頭に浮かんだシーン」を残そうとします。私が彼に狂気を感じたのは、記憶を残そうとする際に何一つ補間作業を行わない、という誠実さです。








「頭に思い浮かんだシーン」はいつも抽象的で、脆く拡散していこうとします。市川氏1ヶ月かけてその「シーン」を観察します。彼の創作活動は「シーンの観察」からはじまります。具体化していくのではなく観察して把握する。霧散してしまい、残す事ができなくなる記憶もあると聞きました。「シーン」が把握できると、線香に火が灯されます。下絵は無いそうです。3日間、「シーン」は和紙に焼付けられます。そして作品が完成します。つまり、「頭に浮かんだシーン」が補間されないままの状態で残されます。市川氏の線香画は、彼の記憶そのものです。








下絵が無いということは、明確な輪郭が無いということです。「頭に浮かんだシーン」の花には、花である領域と花で無い領域が明確ではありません。だからこそ観察と把握に努めます。掴み取った手がかりを、一つ一つ線香で焼き付けるのです。市川氏の誠実さは、自身の言動(13歳で家出をして単身NYへ。気の狂った上品な紳士のような風貌。アイライン。などなど…)からは想像がつきません。が、私の心に強烈なイメージで焼き付けられました。








線香の匂いを嗅ぐと、様々な記憶が浮かび上がります。お葬式やお寺、京都や着物女子の部屋や大好きなお香屋さん…。市川氏の個展以来、彼の絵と佇まいがそれに加わりました。