カオスラウンジに行ってきました。



女装の私が、「【新しい】カオス*ラウンジ【自然】in 高橋コレクション日比谷」に行ってきました。長文です。





最終日のカオスラウンジはカオスでした。高橋コレクション日比谷という、宝塚劇場の隣で開催されているっていう位置関係もカオス。入場料が300円というのもカオス。





お金を払って中に入ろうとすると、白い布のような膜が丸く張られている。脆弱なのに拒むエネルギーは身体的・精神的に計り知れないという、処女の胎内外の境目を感じた。そりゃ、あれだけのカオスを秘めてるんだから拒みもするよね。





膜をくぐるとコラージュが壁一面にあって、左を向くとノイズはなはだしい絵。左の奥はヨドバシカメラやドンキホーテの(ような)垂れ幕が敷き詰められたカオスゾーン。後で向かう。右側の壁にはカオスラウンジに参加している作家の絵や絵じゃないものや絵になろうとあがいているものや、つまり作家そのもの。空白を怯える子供を思い出してしまう。そういえば少年(女)時代、私も空白の全くない色ベタの絵を描いていた。色鉛筆やクレヨンや絵の具の無い画用紙が怖かったのを覚えてる。





右に進むとコタツ。床に絵。人が寝ている。iPadで遊んでいる。遊んでいるのかただ生きているのかわからない。カオスだからって理由で許されていいのかよ。思っても仕方がないから、絵を見るんですが、見れば見るほど怖くなるというか。





覚えているものだけを羅列。





梅ラボさんのコラージュは3次元と2次元の間とその向こうにある異次元と、そのまた先の次元を見ている人(入ってすぐのおっきな作品)がいたのが、ショック過ぎた。人は進化してるんだね。人間が違う、視覚が違う。世代の違い(といっていいのかわからないけれど)が、こうも恐怖を与えるのかと思ってしまう。見ていて疲れる。





nyarさんの細かい線と枠の中にある色と、それらが細胞のように生きている形を作っている絵(といっていいのかもはやわからない)は、神様の戯れを感じた。nyarさんが神がかっているとか、そういう事を言いたいんじゃない。だれもが神みたいにはなれるんだってこと。(か?ほんとに・・)





はまぐちさくらこさんの絵は、たぶん何度か見ているからだと思うけど、安心感があった。でも、この安心感に甘えちゃいけない。ずっと見ているとその狂った可愛さに引き込まれてしまうから。細い線からはみ出た色の力を感じたとたんに、怖くなる。





その他ちくわエミルさん、ARiKEMさん、神谷アルテさんなどなど、どこかで名前は聞いていたけど、という人の作品を見れた。アニメ画だ、目が大きい、構図が奇妙、サブカルだアングラだ、色々言う人もいるでしょうが、作ろうとする人の、愛に似た純粋なエネルギーは伝わる。





まとめ。カオスラウンジはカオスそのもので、肉体派の私にとって精神の進化が、新しい道具を得た精神の激しい進化にショックを受けた。愛が人類の経験した事の無いレベルへ純粋化していっている。周りから見ると退化に見えるかもしれない。それしか無い、それしか無いというシャープなベクトルが作る世界は狂気。





女装がどうとか言っている私にとってショックな展示でしたが同時に光明でした。当たり前の事だけれども、変化は許される。


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