バンパイヤ (1) (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 1995/01
- メディア: 文庫
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人間はだれでも、あばれたくても、あばれられないときがある。
人をなぐりたくても、なぐれないときがある。
それはみんな、人がきまりや道徳にしばられているからだ。
そういったものにしばられないで、
やりたいとき、すきなことができたら、
どんなにたのしいことだろう。
もしかしたらそれがほうとうの生きがいではないだろうか。
それとも、きまりや道徳をよくまもって
まじめ人間でくらすのがいちばんしあわせなのだろうか?
(手塚治虫 あとがきにかえて より一部抜粋)
個人差はあるものの、何かがきっかけとなって獣化する種族を作中ではバンパイヤと呼んでいます。獣化すると理性が効かなくなり、人を襲ったり畑を荒らしたり、好き勝手やり放題を繰り返す。バンパイヤ一族はそうした自らの欠点(性質?)を熟知しているため、人里離れた山間の村でひっそりとくらしていた。しかし、近代化の波が山に訪れる。土地調査の調査員が村を訪れることが判明し、種の秘密が危機にさらされることに…。バンパイヤ達は村を捨て、人間の社会に溶けこむことを決心する。多少の事件は起こすもののひっそりと暮らすバンパイヤ一族。しかし、悪魔のように知的で冷酷な少年ロック(間久部緑郎)は、世界を支配しようという野望のためにバンパイヤを利用しようとする。
少しあらすじが長くなってしまいました。すいません。書きながら思ったのですが、バンパイヤって普通の人間と変わらないんじゃないかと思うんですよね。ぼくらは獣化できないから、好き勝手できないだけで、衝動を抑えて生きているのはバンパイヤと変わらない。好き勝手悪行を繰り返す間久部緑郎の方がかえって人間離れして見える。不思議な感覚です。
漫画はエンターテインメント性を帯びてストーリーを進めますが、あとがきに書かれた手塚治虫の問題提起は解決されません。読者に委ねられています。特に第2部に至っては掲載誌の休刊により未完に終わっています…。せっかく人間に生まれたのだから、動物となって好き勝手いきるのは嫌だなあと思いつつ。注意して生きないと、人間は、間久部緑郎のようになってしまう危険性があることを自覚しておきたいと思いました。小心者のぼくは、悪行すらできないと思いますが…